在地氏族主長と在地神社との関係が最終的に断たれる最後の例になっ


厚狭神社(厚狭招魂社・物見山招魂場)

 厚狭神社(あさじんじゃ)宇部市山陽町(旧厚狭郡山陽町)物見山に鎮祭されています。幕末期の慶応二年(1866)に毛利藩家老の毛利能登が四境の役に於ける戦死者を祭る為に開設され、二歩荘之助などが祭られています。当初は、物見山頂上にあったのですが、昭和16年に頂上から50bほど降った現在地に移転されました。昭和30年に南北の墓所が整備されました。社殿の左右には476柱の祭神の招魂墓が整備されている姿は壮観です。眼下には、厚狭盆地や山陽新幹線の厚狭駅など見え、大変風光明媚な場所に営まれています。

 厚狭神社本殿と南側招魂墓群            二歩荘之助の招魂墓