朝日山護国神社

 朝日山護国神社(あさひやまごこくじんじんじゃ)(鎮座地 山口市秋穂二島512ー1)は、元治元年(1864)に四月四日に八幡隊(文久三年結成、総管は堀真五郎、隊員200名。慶応三年の兵制改革で集義隊と合併して鋭武隊と改められた。四境戦争、奥羽戦争で活躍。)が、四月八日に当地朝日山の地に招魂場を竣工しました。同年六月二十五日には棟上式が盛大に行なわれました。当初は甲子の役・内訌役・四境役の殉難者29柱を祀っていました。
朝日山護国神社拝殿朝日山護国神社本殿と招魂墓
 明治六年(1873)に官祭招魂社に指定され、朝日山招魂社と改称されました。昭和十四年八月二十一日には四月から始まった護国神社制度に伴い、朝日山護国神社と改称されました。昭和十五年九月には、秋穂二島地区の戦没者を合祀しまた。また昭和四十二年八月には境内に秋穂二島戦没者之碑が建立されました。
昭和二十七年には、朝日神社に改称しましたが、昭和四十年に朝日山護国神社に復称した。
現在は、佐藤佐武郎命外215柱を祭っています。
[参照文献]
『山口県神社史』

『もりのしげり』