光峨嵋山護国神社

 光峨嵋山護国神社(ひかりがびさんしょうこんじょう)(現在称 峨嵋山護国神社)
 峨嵋山護国神社神霊碑
        (峨嵋山護国神社正面)         (左後列先頭が来嶋又兵衛の碑) 
 峨嵋山護国神社は、明治三年に遊撃隊総督早川渡・軍監名島小小男・隊士吉井翁輔が設置委員となって峨嵋山の中腹に「峨嵋山招魂社」が創建されました。つ峨嵋山まり初めは遊撃隊の招魂場として創設されました。長州藩遊撃隊の最大の戦役は、なんといっても「蛤御門の変」における戦いでしょう。主祭神となっているの来嶋又兵衛ということですが、この変におけるいての来嶋又兵衛の活躍と壮絶な戦死は、来嶋又兵衛の名をあまりに有名にしてしまいました。この変における遊撃隊の戦死者は四十八柱も祭神として祀られています。 四境戦争は二十二柱、鳥羽・伏見の役が九柱、明治以降から大東亜戦争までの各戦役の戦死者は松岡洋右をはじめ、昭和六十三年で1340柱で、現在は1362柱とされています。
 神霊碑は、明治初年が81基、昭和60年が99基ということで、近年まで祭神の神霊碑が建立され続けられている招魂社として特筆される招魂社です。
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