中山神社

 中山神社(下関市綾羅木本町鎮座)は、古くは勝野原招魂場(かつがのはらしょうこんじょう)と称された
明治天皇の叔父にあたる中山忠光卿という貴人一柱のみを祀るために創建された招魂社であり、長州藩にある諸隊戦死者や国事に斃れた人々を集団で祀る為に創建された他の20社の招魂社とは異質な招魂社である。 貴人を祀った招魂社としては、他にく文久三年(1863)に七卿落ちで長州藩に逃れ、慶応元年四月に病死した錦小路頼徳卿を祀る為に創建された赤妻招魂社がある。
中山神社拝殿中山忠光卿奥津城(墓所)
       中山神社拝殿                    中山忠光卿奥津城(墓所)
 中山忠光卿を祀る神社がなぜ長州藩の下関にあるのかというと、幕末の歴史に詳しい人ならご存知かと思うが、文久三年八月に急進攘夷派が中山忠光を主将として奈良県五條市で起こした天誅組の義挙に失敗し、中山忠光は長州藩に難を逃れ、やがて藩内の山陰を転々としていたのだが、長州藩では俗論党(幕府恭順派)が強くなり、元治元年11月8日に俗論党の手によって豊浦郡の山中で殺害されたのだった。
 その遺骸は下関に運ぶ途中の勝ヶ野に埋葬され墳墓が築かれた。そこに慶応元十一月に豊浦藩によって「中山社」が創立されたのだった。やがて明治十九年に「中山社」の社号を廃して「招魂社」と称したのですが、翌年五月に墳墓と社殿を分離することになり、社地は墳墓の500m東の地に造営されたのでした。
 しかし大正十二年(1923)に社殿を墳墓に隣接した現社地に再建して、今日に至っています。そして昭和三年(1928)に社名を「中山神社」と改称して県社に昇格したのでした。このためその後からは招魂社としては数えられなくなりました。