大島神社

 大島神社(旧称 八田山招魂場(やあたやましょうこんじょう)は周防大島町に鎮座しています。
大島神社拝殿本殿後招魂碑群
        大島神社                      社殿裏の招魂墓碑群
 八田山招魂場は、長州藩によって慶応元年に創建とされたとされています。慶応二年の長州藩四境戦争や戊辰戦争の殉難者二十人を祀り、更に大東亜戦争に至る英霊三千有余柱を祀っています。
案内板には「慶応二年徳川幕府は第二次長州征伐軍を進発させ、四境戦大島口攻略を意図した軍艦四隻小船多数により幕兵約二千が久賀村米光より上陸、安下庄へも軍艦二隻主体に兵千五百人が上陸し、背後より迫ってきた。味方は第二奇兵隊・浩武隊・大島兵・上関兵・浦兵・村上などの諸隊が応戦、九日間の激戦の末、敵を海上に潰走させた。此の処の墓碑群は、この時の戦死者、戊辰、北越従軍戦死者、その他維新ゆかりの墓碑であり 明治十年招魂社祭として、毎年八月十五日が例祭日として定められていた」と書かれています。
 当社の直ぐ上には貞観年間創建された石清水八幡宮の御分霊を奉斎する八田(やあた)八幡宮があり、当招魂社は八田八幡宮の参道沿いに建てられた招魂社です。