栄山神社

 栄山神社(旧称 山手招魂場)は、明治維新前後の戦役に殉じた烈士を、山口市小郡町中山手に祀ったことに始まります。慶応元年(1865)山口藩集義隊戦死者墓地を創立(旧招魂社)と『山口県神社誌』に記されています。
 写真の外側の石柱は、囲いの石柱ですが、内側の石柱は基台の上に立てられていて上部は良城招魂場と同じく圭首(四方から削いで中を高くする)となっています。私は、これらを「招魂墓」と呼んでいます。例えば、現在もこの石柱には「楳本僊之助源直政神位」と彫られているのが判読できるのですが、『霊山祭神の研究』には「長州 楳本僊之助(うめもとせんのすけ)直政之墓 元治元年甲子七月十九日歿」とあり、更に「集義隊旗手。元治元年七月十九日禁門に戦い、破れて落西樫原札ノ辻までのがれたが小浜兵と遭遇、戦死した。京都霊山と洛祭西樫原共同墓地、山口県小郡町山手下に墓。靖国」とあって、京都霊山と洛西樫原共同墓地と山口県小郡町山手下に墓があるとされているからでもあります。現在の栄山神社は、小郡下郷に場所を移されて小祠が建てられています。旧社地の写真に鳥居の部分が写っていますが、本来は、この鳥居の後方に小祠があったものと思われます。写真は左側部分ですが、勿論右側部分にも墓列があり、小祠を中心に左右対称に招魂墓が建てられていたと考えられます。

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