創建は慶応二年(1866)とされます。禁門の変で自刃された家老の福原越後を主祭神とし、その後禁門の変で戦死した22柱の御霊が合祀。当初は「維新招魂社」と称されました。最初は崩山という地名から「崩山招魂社」、通称「 昭和年代(1926〜)になってからは、市の周辺地域との合併により、同地域の英霊の合祀がされ、更に消防団などの殉職者も合祀され、現在は3430柱の御霊が合祀されています。 昭和14年に内務省令により、「宇部護国神社」と改称され、終戦後の昭和21年(1946)には「維新山神社」と改称されたが、昭和28年(1953)には「宇部護国神社」の社名に復称されました。 ![]() 境内も良く整備されています。護国神社本殿の左側の石段参道を上って行きますと、招魂碑にたどり着きます。 宇部護国神社本殿・拝殿 ![]() ![]() 招魂場 鳥居社号扁額 ![]()
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