第11回講座−祭祀の多回性−


項目
1、祭祀の多回性 7、神社創建祭祀
2、一年周期 8、永劫回帰の思想
3、大祭・中祭・小祭 9、祭祀の回帰性
4、農業祭祀 10、再生の原理
5神社祭祀 11、神の怖さ
6、祭祀研究の醍醐味 12、私の神道研究の目的

1、祭祀の多回性
 神道の祭祀の特徴一つとして、一回だけ行なわれる一回性祭祀と、何度も繰り返される多回性祭祀があります。
家を造る祭の地鎮祭・上棟祭や土木工事などの起工式、竣工式などの祭祀は一回性の祭祀です。

2、一年周期
 神社や民間神事で行われる祭祀は、一年をサイクルとして毎年繰り返し行われる多回性祭祀です。
 多回性の祭祀といっても、次から次へと連続して何度も行なうといった祭祀ではなく、毎年繰り返されるという意味での多回性祭祀です。
行なわれる期間(サイクル)と祭祀を例えてあげますと次のようになります。[図表T]
                           

3、大祭・中祭・小祭
 今日の神社神道の神社で行なわれる祭祀は、大祭・中祭・小祭の三種に分けられます。
 大祭として、例祭・祈年祭・新嘗祭・鎮座祭、中祭として歳旦祭・元始祭・紀元祭・天長祭・明治祭・昭和祭があり、小祭として節分祭などの祭祀があります。

4、農業祭祀
 祭祀に周期性があるのには訳があります。神道の祭祀は、一年という農耕のサイクルを基本としているからです。
 神社にとっても、氏子達の生活が安泰であることから、自然にそうなったものと思われます。
 春の農耕初め、そして種まき、風水害、旱、病害、収穫祭、次年収穫の予祝といった何千年も昔から続いてきた日本人の生活リズムに合わせて、神々への祭祀も行なわれてきたのですから、当然といえましょう。

5、神社祭祀
 しかしながら、神社には、そうした農耕祭祀とか、季節に基づく祭祀(例えば、歳旦祭・節分祭)とは違いながら、毎年繰り返される祭祀があります。
 特に古社には、そうした祭りが大いのですが、そうした祭りは、当該社の創建や重要な由緒を伝える祭祀が多いのです。
 日本の神社には創建されて千数百年にもなる神社が沢山あります。そうした神社には、創建に因んだ祭祀が、創建以来今日まで、延々と続けられて来た事例があるのです。
 しかも、それらの祭祀は余りに長い間続けられて来た為に、現在では、当該祭祀の本来の目的や意味が解らなくなってしまっている場合が多いのです。

6、祭祀研究の醍醐味
 そうした祭祀を研究すると、良くない例えなのですが、推理小説の謎解きのようで、非常にわくわくする興奮を味わうことがあります。 なぜって、論文にして発表するまでは、当該祭祀の本義を知っているのは、この世で自分ひとりだけなのですから・・・。
 神が自分だけに微笑み、褒美をくれたように思えるのです! 論文が発表されるまでの数ヶ月間、知ったことの悦びは自分だけのものなのです。 そうした祭祀を研究し、幸運にも史実にたどり着くことができた時の興奮が(史実が、正に眼前に見えるような景色なのです!)、実はこれが神道や神社研究の醍醐味なのです。


7、神社創建祭祀
 そうした神社創建に関わるような祭祀で有名なものは、宇佐八幡宮の仲秋祭(明治以前までは、放生会と呼ばれていました)、賀茂神社の(御阿礼神事)、春日神社のおん祭等があります。
 しかし有名でなくても、歴史のある神社の年間祭祀には必ずといって良いほどにそうした祭祀があります。

8、永劫回帰の思想
 祭祀が、何故繰り返される性質を持つのか、このことを非常に明瞭に説明しているのが、ミルチャ・エリアーデの説明です。
 私が三十年も前に学んだ学説ですから、今ではもっと新しい学説がなされているかもしれませんが、エリアーデは祭祀の繰り返しの理由を、「永劫回帰の思想」と説明しています。
つまり、祭祀が繰り返されるのは、最初に祭祀が行われた時を再現するためとされるのです。
例えば、神社にとって一番意義深いのは、やはりその神社が創建された時です。

9、祭祀の回帰性
 当該神社が、何故、何の為に、何時、誰が、どうやって創建したのか、その神社の存在意味そのものです。
祭祀は、その創建された時を再現して、原点に回帰する為に行なわれるといえるのです。
神が鎮座した原点に回帰し、それを再現することで、神の鎮まるその神社の存在意義を再認識するという事なのです。

10、再生の原理
 時間の経過と共に減退して行く最初の信仰の力強さを、原点に回帰して、再現することで、最初のエネルギーを回復し、力強さを取り戻す再生の原理なのです。
神への祭祀という視点からすれば、時の経過と共に減退してしていく神の力を、原点に回帰して、再現することで、神の力を再生させることだともいえます。

11、神の怖さ
 宗教を知ろうとする者が、気を付けなければならない危険とは、神のこのエネルギーに無頓着なことなのです。感性が敏感な人は、心にその用意がなければ、自身が破壊されるか、深刻なダメージを受けてしまいます。
 一方、感性が鈍感な人は、最後まで真実にたどり着くことが出来ずに、神と宗教を知ったと思ってしまいます。つまり、入り口でぐるぐる回っているだけなのです。ですからいつまで経っても神に近づくことができません。

12、私の神道研究の目的
 私が何故、神道を勉強し、研究したのか?
それは、自身の神道信仰を探す為でありました。
ですから、歴史が好きで、神道の歴史を研究しているわけではなかったといえます。
その為、純粋に歴史学的分析第一主義の研究手法はとりませんでした。
 日本人は神道のどのようなことを、どのように信じたのか。それが目的でありました。そして、そのような信仰は、自身の信仰として受け入れられるのかという目的を抱いているように思います。

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