項目
1、現代の諸問題と神道 5、社会的環境の変化
2、神道の特性 6、共同体信仰から個人信仰へ
3、天皇の位置付けについて 7、人格神から再び自然神へ
4、神道信仰と日本社会

1、現代の諸問題と神道
 神道は、今後はどのような展開を遂げて行くのだろうか。
 今日の神道は、これまでの伝統的信仰を基本とし、その教説は古事記・日本書紀・古語拾遺といった、千年以上も前に書かれた古典を教学の典拠として成立している。したがって、現代が直面する様々な問題に関しても、それらの古典に教説の根拠を求めざるをえない状態にある。
 つまり今日的問題の、例えば科学技術の飛躍的進歩によってもたらされた生命の誕生に関わる遺伝子操作や脳死の問題、臓器移植等の生命倫理に関する問題、また自然改造・破壊といったことへの問題、更に近代的国民国家の下に於ける社会的男女間格差等の差別問題、民主主義や基本的人権、国民国家と宗教の在り方等の問題に関してなどである。 
 要するに、これらの諸問題に関して、記紀の古典には書かれていないため、神道の教えとして明確に善悪を説くことが出来ないのである。
 こうした状況は、何も神道に限って起こっている問題ではない。紀元前五世紀頃の釈迦の教えを基本としている仏教、一世紀頃のキリストの教えに基づくキリスト教、七世紀頃のマホメットの教えのコーランを聖典とするイスラム教などの世界宗教に於いても、第二次世界大戦以後の急激な科学技術の発展によって出現した二十世紀中期以降の現実世界の諸問題に対して答えることができないのである。
 
 それは聖典や教典を絶対視する宗教であるほどに、教典成立以降に出現する現実世界に対して、宗教的説明や価値判断をすれば、教典からの逸脱となり、しなければ信者の苦悩する現実世界の諸問題から信者を救えないというジレンマ(進退両難)に陥ってしまうからである。

 幸いに、十九世紀までは基本的に紀元前五世紀の延長といえる現実世界であったために、そうした旧世界での宗教的教義と現実世界に切実な乖離はなかったのであるが、二十世紀以降の現実世界はそれ以前の現実世界と全く違った様相を呈したのであった。
 つまり十九世紀を境として、それ以前を旧世界とし、以降は新世界と区別しなければならないといえるのである。
 日本では第二次世界大戦までは、基本的に旧世界の延長線上で考えることも出来るが、第二次世界大戦以後の日本社会は戦前の延長線上で考えることは出来ないと思われる。
 このような前提に立てば、旧世界における様々な宗教的教義は、もはや現実世界の人々が最も苦悩する重要な或る部分を解決することができないことが明らかのである。
 幸いに、神道には教典がないために、そうしたジレンマに陥ることはないのだけれど、逆にそうした問題に答えようとすると、神道内部(神道学者・神職)での意見集約が出来ず、またこれを判定する典拠もなく、神道としての教理的・教学的判定を下せないという陥穽(かんせい)に陥ってしまっているといわざるをえない。
 このように考えると、神道は、これらの問題についてはいづれも神道としての判断停止の状況にあるということができるが、果たしてこれを打破する方法はあるのだろうか。そして、もし答えなかった場合には、神道を信仰する人々が減少し、神道は衰退するのだろうか。

2、神道の特性
 しかし神道は果たして、こうした問題について答える使命があるかという別の視点に立つと、神道は、そうした問題を解決することを目指す宗教ではないことに思い至る。
 むしろ神道は、そうした問題に宗教として答えることはできないといわねばならない。なぜなら前述したように、神道には教義となる教典がなく、したがって神道自体が自己規定されておらず、新世界における諸問題について是非や善悪を示す根拠や基準を持っていないからである。即ち、神道は人間倫理や真理を追究すべく成立した宗教でないことは、此までの講義でかなりくわしく説明してきた。

 神道が宗教としての成立している空間は、人間及び社会の倫理や真理を追究する宗教とは、全く別の空間である。
 神を祭祀するという行為が、神道が成り立っている基盤であるが、その神からは恵みや災厄がもたらされるだけであって、神から人に対して真理や倫理・規範が啓示されることはないのである。
 神道の場合、神の意志は古くは託宣という形で示されたこともあるが、今日では託宣は特別な心理状態に於ける人間心理の発露として分析がなされていて、現在では託宣を神の意志表示として信じる者はいないであろう。

 以上の考察からすれば、神道が様々な現代的問題に対して自己の立場を自ら垂範することはできないものとなる。寧ろ、日本社会の価値観が変化した時に、神道の教義もそれに対応して変化するとされるものであろう。
 従って、そうした諸問題に対する日本社会の全体的姿勢が明確になった後に、神道がそれに対応して変化し、神道の宗教的立場が確立されるということになると思われる。
 宗教が神々の教えに根拠をおいて、そうした諸問題を解決しようとすることは、むしろ妥協を許さないかたくなな姿勢を鮮明にするだけではないのだろうか。

3、天皇の位置付けについて
 天皇と神道との関わりにしては、現代神道においても、その教義は三大神勅(天壌無窮の神勅・宝鏡奉斎の神勅・斎庭稲穂の神勅)を以て説かれる。つまり本質的には、旧世界の神道教学のままなのである。
 ただし、熱狂的国粋主義思想からは解放され、天皇の現人神説などは、ほとんど見られない。
 天皇は、日本国家の政治的存在として巨大な存在であるが、一方で神道においては最高祭祀者としての宗教的立場にある。この二点は旧世界では合体していた。
 ところが新世界では、日本国家からの宗教性が排除される方向が採用されたために、公には天皇の政治的存在のみが残されて、宗教的地位は天皇の私的信仰とされることになった。
 その結果、宗教的存在としての天皇は、神道や神社世界に於てのみ重要なことになったのである。
 戦後の神社界では、天皇は天照大神を祭る皇孫の最高斎主として神聖性を具現した至高の存在としての位置付けがなされているようである。この点は、天皇を国民統合の象徴としている現代日本社会とは非常に異なっている点であろう。
 しかしながら神道界に於いて、天皇ということに関して発言することは、発言すること自体が批判される恐れが強く、発言者は神社界から排除されるほどの危険をはらみ、だれも発言できない状況といえる。
 神社界が天皇に非常な神聖性を認めていることは、神道の成立の経緯から当然なのだが、現代日本社会や国家が、天皇へのそうした神聖性を認めない方向にあり、日本社会と神道界との天皇に関する考え方の隔たりは拡大しているといえよう。
 この隔たりは、神道や神社神道の大きな課題であろう。しかし現代の象徴天皇観の思想が今後も不変であるという理由はどこにもない。これも一つのイデオロギーに基づいた天皇観なのであり、時間の経過とともに別の傾向が開かれるというのが歴史的必然なのであるから、時代に迎合した性急な議論は控えるべきであろう。
 重要であるのは、神道にとっての天皇は、記紀以来の伝統である「至高の斎主としての存在」という位置付けは、神道に於いては、今後も不変と思われる点である。

4、神道信仰と日本社会
 現代の都市型社会の拡大は、これまでの地域における氏神を核とした神道の氏神型信仰が成り立たなくなりつつある状況をもたらしている。
 また都市在住の核家族型社会は、氏神信仰ではなく、崇敬神社信仰へと大きく変貌している。
 このことは、氏子を基盤に運営されている氏神神社の衰退と、逆に一部の特定崇敬型大規模神社への信仰の集中と、当該社の繁栄を生みだしている。
 特に都市以外の農山村地域の氏神神社の経済的疲弊は激しく、その結果としてそうした神社の後継神主の途絶は現実的で早急の問題である。
 つまり神職としての神社からの収入が無ければ、生活は困難であり、結婚し家庭を持つことさえ出来ないからである。まして田舎の低所得の神主に嫁ぐ女性はいなであろう。
 これに対して、都市部における神社は経営も比較的よく、したがって後継神主の確保も難しくない状況にあるが、都市部においても氏子地区という地割りが形骸化し、氏子と氏神という意識も希薄化している。したがって、氏子からの神社収入は少なくなり、そのため専任神職である場合は、所得も低くなる。そこで他に職を持つ兼任神職となることが多い。だが田舎の神職はそうしたことさえ出来ないのである。
 こうした実態を総合的にいえば、これまでの氏神型神社信仰が、崇敬神型信仰へと大きく転換を遂げつつあるということができる。つまり、富める神社と、経営が成り立たない富めない神社との二極化が進行しているのである
 今後の神社信仰は、ますますこの傾向が進展するものであろう。そして近い将来、山間地の小規模神社の多くが廃絶してしまうと考えられる。
5、社会的環境の変化
 こうした社会的環境変化は、伝統的神道信仰をどのように変化させたのだろうか。
 地方から都市への人々の移動という人的環境変化によって引き起こされるのは、伝統的稲作農耕を主体とした日本的な村落共同体の祭祀(五穀豊穣、収穫祭、里神楽等)の維持ができなることであった。そして同時に、村落の家庭で行われていた家庭内祭祀や習俗の断絶であった。
 南洋諸島などの島では、島の女性のみによって行なわれていた祭祀(イザイホー)などは、島民人口の減少によって祭祀奉仕者がいなくなり、執行が途絶えてしまった祭祀が現にある。
 今日でも、農山村の家々では、自家が耕作する土地や所有する山には、荒神といって藪や樹木そのものを祭ったり、或いは水神として田畑や屋敷のいたるところに小祠を建てたり、神聖な木や藪には、場所そのものが神が宿るとして様々な神を祭って祭祀が行なわれているのであるが、そうした神々を祭る祭祀は、農山村の人口の減少と共に廃絶していっているのである。
 実は、これらの信仰は極めてアニミズム(精霊信仰的)であって、こうした信仰は、神道信仰を醸成する最も基盤となる信仰となるものである。
 このような信仰が基礎をなして、万物に神が宿る、或いは八百万神々の存在を認める神道信仰を成り立たせているといえる。
 これに対して、すでにマスコミ等で取り上げられて有名な農・山・魚村の共同体祭祀は、伝統文化としてなんとか維持され、伝承されている。
 それは祭りの時にのみ、都会に出て生活している者達が田舎に帰り、共同体祭祀に参加して、なんとかそうした伝統的祭祀を継続させているからである。
 しかし、そうしたことは祭祀参加者から素朴で真摯な信仰感情を失わせ、信仰の希薄な、単なる伝統行事へと祭祀の形骸化を産んでいるのである。だが、そうした維持の努力も、やがて祭祀行事の中止という結果となるであろう。これは農山村、或いは漁村でも同じことである。
 こうした社会環境の変化は、そうした集落内の各家々で行なわれていた家庭内祭祀が、親から子へと伝えられなくなり、消えていっていることも意味しているのである。

6、共同体信仰から個人信仰へ
 こうした都市型社会の拡大にともなう、集落社会の消滅は、学問的には、あれほど一世を風靡した民俗学の衰退という事態さえ起こしている。つまり民俗学の対象とするフィールド自体が日本社会から消えつつあるために、民俗学調査そのものが成立しないのである。
 今日進行している社会環境の変化は、農山村に住み、生活して、初めて感覚的に存在が納得させられる地域神や、農耕神、山の神といった存在への信仰を衰退させており、今後はそうした信仰は、細々と受け継がれていくことになるであろう。

 しかし都市住民の家庭からも、実は神道信仰の習慣・習俗は、どんどん消えていっているのである。住まいからの、神棚・床の間・座敷の消滅であり、竈の消滅に依って台所に竈神を祭る習俗は、とうの昔に過去の信仰でしかなくなっている。
 家長が、年末の玄関に注連縄を張り、神棚の正月飾りをし、一月元旦の早朝に起きて、若水を汲み、神棚に供える、という風習も、もうはや消滅している。
 このように都市の世俗社会からも、神道的風習はどんどん姿を消しているのである。
 しかしながら他方で、神社への観光参詣や、一部有力大規模神社への参拝者の集中という現象がある。「初詣」や「酉の市」といった有名神社への参拝は年々益々盛んになっていて、衰える様子はない。
 そうした現象に見られるのは、流行の強い信仰であり参詣である。
 マスコミが報道するだけで、或いはNHK大河ドラマで放送されるだけで、参拝者は急増し、関西の「恵方巻き」といった、きわめて現世利益的な俗信仰が全国的風習になるのである。
 これらの信仰は、基本的には特定神や神社への個人信仰や個人行事であって、神道が伝統としてきた共同体信仰とは別種の信仰である。つまり日本社会では、共同体信仰が衰え、個人信仰が非常に盛んになっているのである。
 例えば、靖国神社信仰などは、正に日本国家という一国全体という巨大な共同体信仰の中で育まれてきた信仰なのであるが、その一枚岩の共同体意識が分裂し、国民全体での信仰が成り立たなくなってしまったために、今日では靖国神社は、個々人の個人信仰の次元で議論される。そのために、議論がかみあわないのである。
 靖国信仰のような信仰は、国家間の戦争といった国家共同体に非常な危険が起こり、強烈なナショナリズムの高揚が起こらない限りは、今後は静かに営まれていくといえよう。
 すでに戦争当事者達の第一世代は希少になり、その子供達の第二世代に移行し、全くそうしたナショナリズムの感覚を知らない第三世代へとさらに移行しつつあるからである。中国と韓国及び北朝鮮が成熟し、強烈なナショナリズムを必要としない国家になっていけば、靖国問題は沈静化し、本来の姿となっていくであろう。 

7、人格神から再び自然神へ
 神道の神々は、奈良時代に急激に広がった仏教の影響を受けて、それまで自然神(海・川・山・野・湖沼などの、それ自体を神とする、或いはそうした所に神々が住んでいるとの神観)の神性のままに信仰されていたのであるが、仏教と接触することによって、奈良時代初めに先ず八幡神が応神天皇という明確な人格神とされた。
 そして平安時代に入ると神仏習合が進み、人間の姿をした仏や諸仏と同じように、神も人のような姿と心を持つ存在と考えられるようになっていった。
 これに加えて、現実に生きていて理不尽なままに病没していった菅原道真を天神とするように、人が神になれるという信仰も始まった。
 そうした信仰は、怨霊信仰となって流行し、更に戦国時代時代からは豊臣秀吉・徳川家康を神として祭るようになった。
 そして近代では、戦死した国民兵士を神として祭る靖國神社や明治天皇を祭る明治神宮が創建され、乃木希典を祭る乃木神社、東郷平八郎を祭る東郷神社、そして護国神社は昭和十四年から二十年まで創建されつづけたのであった。
 こうした流れは神道の神々の人格神化という大きな流れの中に位置づけできるものであろう。
 しかしながら、そうした人を神として祭る神社の多数の創建という現象は、1945年以後は、ぴたりと止んでしまっているのである。
 一方で、戦後も企業の敷地内に創建される神社もあった。たとえば出光石油などでは、創業者の信仰から宗像神社が全国の出光精油所敷地内に勧請創建された。或いは商売繁盛などから、証券会社や企業の敷地内や屋上、或いは社屋内にも神社や神殿が新たに設けられている例は多数ある。しかし、創業者が神として祭られたという例は寡聞にして聞いたかとかがない。

 このように考えると、幕末以降に急激に発展してきた人を神として祭る信仰形態が、戦後の靖国信仰を以て、大きな曲がり角に立ったのではないかと思われてくるのである。
  
 前述してきたような、戦後の劇的日本社会の変化によって、そうした近代の靖国信仰を含めた、神の人格神化という信仰とは別に、今日の人々は旧社会とは違う新たな神道信仰を持ち始めているのではないかと思われる。即ち、再び自然神的神道の神を求めるようになっていると思われるのである。
 科学知識の発達によって我々の人知は、これまでは神の領域と見なされてきた世界の問題が、実は人知によって解決できる領域であったことを知るに至っている。
 そして現代の日本人は、人とは、そうした巨大で深淵な自然世界に一瞬に存在する存在に過ぎないことを自覚している。
 神々の世界とは、そうした人間の世界を包摂した自然世界であることを、これからの日本人は、ますます望むのではないのだろうか。
 したがって、今後の神道の神々は、人格神的神であるよりも、自然神的神として思惟される方向に展開すると考えられるのである。
 そうした自然神として、たとえば富士山も阿蘇山も、その自然が神格化した神として考えられたような古代の自然神的日本の神の姿に回帰していくのではないかと思われるのである。
 地域には、その土地の自然が神となり、産土神として産土神社に祭祀されているとされていくのではないだろうか。
 つまり神道の神々の自然神への回帰という方向で、今後の神道の神々は姿を変えていくものと思われるのである。
  そういう意味で、自然神→人格神と歩んできたこれまでの千五百年の神道の人格神化というプロセスは、そのベクトルを逆にし、今後は人格神→自然神へのプロセスを踏んでいくのではないかと考えられるのである。
 勿論、それは、これまでの逆戻りのプロセスではないであろう。そのプロセスが、何十年か何百年か何千年か分らないが、そうした長い長い変化が今後の神道世界を形成していくのではないかと思われる。
 私は、神道の未来を悲観的に考えてはいない。しかしながら神道が、近代の一時期に陥ったように、余りに純粋化してしまうことは非常に危険に思える。清濁併せ持つ未来の神道を願う者である。