神道が、日本文化に占める目に見える量的分量というのは、そういう意味では少ないといえるかもしれません。
仏教に比べると、仏教の圧倒的な日本文化への貢献に驚嘆するしかありません。但し、目に見える量的分量ということは、その視覚に訴える範囲でということです。
たとえば建築物や文化財としては、寺と神社の国宝の数など比較すれば、圧倒的に仏教でしょう。
日本の宗教思想、文学作品、各種芸道(茶道・華道)等々の伝統文化といわれる分野における仏教の存在は、正に圧倒的です。
仏教に較べれば、明治以後に流入したキリスト教を基礎とする西洋文化でさえ、小さなものだといえましょう。
但し、今日に於いては、キリスト教的西欧文化の存在は、非常に大きくなっているといえます。
しかし問題になるのは、仏教にしろ、西欧思想にしろ、それらは日本文化に影響を与えた主体であるけれども、影響された日本文化の当体ではないということです。
仏教などは、かなり日本文化に内在化しましたが、内在化する中で日本化されてしました。
日本に根を下ろした平安仏教以降の日本仏教と、奈良時代に唐から伝えられた中国仏教、中国に伝わる以前のインド仏教、さらに原始仏教との違いは、少し勉強してみれば、驚嘆するほどの差異があります。
その象徴的な点は、日本の仏教が死者の霊を弔うことに活動の重点を移したことに明確に読み取れます。
仏教根本の哲理である涅槃寂静に入るのなら、霊魂の存在など消えていくはずです・・・・。
しかし、日本仏教では霊魂世界を浄土世界として発展させて展開しています。
浄土に死者の魂は赴き、浄土の世界で祖先と一緒に暮らすという教えになっているのです。
日本仏教が何故、そうした霊魂観を内包させたのかと云えば、仏教が日本に土着化する際に、日本的生死観を取り込むことを行い、それに成功して、そうした霊魂観、来世観を発展させたといえるのです。
それ故に、仏教は日本文化に内在化できたとも云えます。
それ以来(少なくとも平安時代以降から近代に至るまで)、日本において葬祭の葬の分野は、仏教の担当で有り続けたのでした。
近世になって日本人としての自覚に目覚めた際に、日本古来の葬式の仕方があるはずだと、国学者などが必死に探求したのですが、ついにそうした日本古来の葬儀の仕方を発見することは出来なかったのでした。
つまり日本古来の葬儀は、約千年も前に絶えてしまっていたために、日本古来の葬儀の仕方を歴史から取り出すことは不可能になっていたのでした。
そしてこの間の日本人の葬儀を代替したのが、日本仏教だったのです。神道は、祭のみの担当となって、仏教とこの日本では棲み分けていたのでした。
では、こうした日本に内在化した日本仏教の日本的な生死観の原型はどこに見出されるのかといえば、それは古事記・日本書紀に記された日本神話世界に見出されます。
その典型的な神話が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の死した妻の伊弉冉尊(い ざなみのみこと)に会うために行った黄泉国訪問の神話です。
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伊弉諾尊が体験したものは、肉体は腐り果てても死後の国(黄泉の国)で現世と同じように活動している伊弉冉尊の姿(霊魂)だったのです。
この神話は、死後行く世界でも死者の霊魂は、そのまま生き続けているという日本人の生死観の原型といえるものなのです。
死した伊弉冉尊がいる黄泉の国の最初のイメージは、明らかに古墳の石室内の空間です。
それがやがて、死体が埋葬されている地下世界へとイメージが拡大され、それが目に見えるような死後世界へと展開していきます。
よく考えてみると、そこには我々の死後の世界のイメージの原型があると思われます。
このイメージが、仏教の天国・地獄、あるいは浄土世界と入れ替えられて、今日の我々の死後世界のイメージになっていると考えると、よく理解できます。
この生死観を仏教が取り入れたから、日本仏教は日本人の死を取り扱うことができる宗教として日本人に受け入れられ、日本人の葬の分野に於いては仏教が日本に内在化したということが出来ましょう。
前述したように、では仏教やキリスト教の影響を受ける当体とは何かと問うた場合、そこに立ち現れてくるのが、日本の神話世界であり、その神話世界の神々を戴いている神道なのです。
神道は、そうした日本の神話の世界をその核に持っている宗教であり、その核を保持したまま、日本の歴史に展開し、日本の歴史を形作ってきた存在なのです。
神道が、そうした日本のアイデンティティの当体にあるのではないのかという認識は、早くから日本文化を研究する西欧の研究者によって指摘され、認識されてきました。
今日では、神道がそうした当体であることを疑う研究者はおりせんし、そうした認識がある故えに、日本文化に興味を持つ外国人は神道のことをとても知りたがるのです。
しかし、これまで神道を研究した数多くの研究者がおりますが、今日までのところ、神道の全体と核心を適切に説明しきった研究者はいないのです。
それ故、神道の研究はこれまでも、そしてこれからも盛んであると思われます。
もっとも神道を全部説明出来ないということには、本質的な理由があると考えられます。それは、神道は現在も成長し変化していると考えられる存在なのです。
どんどん成長する子供を説明しきれません。説明したとたんに、子供は次の姿に変貌しているのですから・・・。
第二回講義で説明したように、神道には固定化された教義というものがありませんので、如何様にも展開するのです。
新しい信仰が、次々に生み出されていく、そういった宗教なのです。つまり神道は、日本と共に変貌していくのです。
神道と日本文化との関わりを説くことは、非常に難しいのですが、以上のような認識に立つことによって、神道の歴史も解りやすくなると思います。
読者のみなさんは、こうした見解を参考に、じっくり神道を知って、考えていっていただければ、私としては満足です。
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