第6回講座―歴史と神社


項目
1 、神社と氏子 4-1、東京の場合 7、地域と神社一体性
2、寺請制度に代えての氏子制度 4-2、下関の場合 8、神社の興廃
3、神社の宝物は歴史 5、日本史と神社の歴史も一体 9、地域の歴史は神社に残る
4、地域史と神社史との一体性 6、神社創建の要因

1 、神社と氏子
  神道が実際に営まれている場所といえば、それは神社です。
 神社には、境内があり、社殿があって、地域の人々が氏子(うじこ)として神社を支えています。

2、寺請制度に代えての氏子制度
  氏子というのは、明治時代に江戸時代の寺院の寺請制度(江戸幕府による人々の戸籍管理)廃止に伴い、これを氏子制度として神社に代替させようとした制度で、この制度下で使われた名称の名残です。
 しかしこの制度は途中で放棄されました。但し、この制度は法制化された制度ではありません。
 氏子というのは、一定地域の神社と住民を一氏族と仮定し、奈良時代の氏族制度に範をとって、神社と住民との関係を、氏(うじ)とその氏に所属する氏の子の集団と見立てたものです。

3、神社の宝物は歴史
  さて、神社にとって、また氏子にとって、大事なものは境内や社殿、宝物等沢山あります。
 しかしそれら中で一番大事なものは何かというと、実は「神社の歴史」なのです。
 私の恩師が、さる大学の神道史の碩学が神社に調査に来られた際に、碩学の先生からこの話を伺ったということなのですが、この言葉、考えれば考えるほどに、真理ではないかと思われる近年です。
 私が、この話を恩師から伺って以来十五年にもなりますが、以来大事にしています。
 神社にとって当該神社の歴史が一番大切だということは、由緒ある有名な神社、或いは大社といわれるような大きな神社から、田舎の小さな神社にも、あてはまります。

4、地域史と神社史との一体性
  神社にとって歴史が何故それほど大事かといえば、実は神社の存在というのは、神社の存在する地域の歴史と密接不可分の関係にあるからなのです。
 もっといえば、当該地域の主要な歴史、特に文化というか精神史というのは、その地域の神社の歴史を再構成すれば、概略を描けるのです。
 特に、地域の神社がどのような際に創建されたのかということを調べれば、その地域の最も重要な歴史が何であったのかわかります。

4-1、東京の場合
  例えば東京です。関東が一躍脚光を浴びたのは平安時代の中期の平将門の乱でしょう。

 神田神社
  神田神社創建の社伝では、その平将門の鎮霊がなされて神田神社が創建されたのが鎌倉時代の延慶2年(1309)とされています。

 日枝神社
  やがて江戸に初めて城を造った太田道灌(おおたどうかん)が文明十年(1478)に赤坂の日枝神社(山王日枝神社)を祭ります。

 富岡八幡宮
  徳川幕府が開府されてからは、江戸勧進相撲発祥の地として有名な富岡八幡宮が寛永4年(1627年)創建されます。

 靖国神社
  そして江戸に都が移って近代日本の首都として江戸が東京となった明治2年(1869)に東京招魂社が創建され、それがやがて明治12年に靖国神社と改称されたのでした。

 明治神宮
  その明治の象徴である明治天皇を祭る明治神宮は大正9年(1920)代々木の地に創建されました。

 乃木神社・東郷神社
  その明治天皇に殉死した乃木希典夫妻を祀る乃木神社は大正12年(1923)の創建です。大日本帝国海軍の英雄東郷平八郎を祀る東郷神社は昭和15年(1940)の創建です。

 東京に於けるこれらの神社創建は、正に近代日本と帝都東京が輝いていた時代と一致しています。
 また、近代以前の江戸の地に於ける神社の創建は、この地の歴史の大事な時期とも一致します。

4-2、下関の場合

他に、典型的地方事例として山口県下関市を見て見ましょう。

 住吉神社・忌宮神社
  神功皇后の三韓遠征の時代に創建されたと伝えられるのが、住吉神社(長門国の一宮)と二宮の忌宮神社(いみのみやじんじゃ)です。

 赤間神宮・厳島神社・大歳神社
  源平合戦に因んで創建された神社では赤間神宮(壇ノ浦の合戦で入水した安徳天皇を祭っています)・厳島神社・大歳神社があります。

 中山神社・桜山神社・乃木神社
  幕末から明治にかけては天誅組の挙兵で知られる中山忠光卿を祭る中山神社、奇兵隊の戦死者を祭る桜山神社、そして乃木神社が創建されています。

 これらの神社の創建は下関が日本史に燦然と登場して輝いた時期と一致します。

5、日本史と神社の歴史も一体

 以上の二例を挙げましたが、各地の神社創建の歴史を調べてみれば、みなさんもなるほどと思われるはずです。神社は、その地の歴史的モニュメント(記念物)でもあるのです。

 したがって視点を大きくとれば、日本の神社の歴史を辿れば、日本史の重要な要点も描き出せるということになるのです。
 このように神社の創建と地域の歴史の画期とは一致するのです。
 ではそうしたことが何故起こったのか。神社創設には、なぜそうした地域の歴史が刻まれているのでしょうか。

6、神社創建の要因
  実は神社が創建される要因は、村の田畑が開墾されたとか、そういった社会経済史の変動による場合があります。
 或いは、当該地域に疫病がはやったとか、洪水に見舞われた、戦乱の舞台になったとかという場合もあります。
 つまり、当該地の記憶に残る程の重要な事件を契機に神社が造られるということが多いのです。
 そして、それは住む人々の大事な心の記憶ということでもあるのです。
 住む人々の心というのは、宗教に反映されやすいのです。
 今日までの日本では、地域の人々の最大公約数的な宗教は神道であり神社だったのです。
 それゆえに神社に地域の人々の心が反映されてきたのでした。
 それ故、当該地域の心の歴史を神社の歴史に見ることができるのです。

7、地域と神社一体性 
  神社創建の契機を辿ると、その地域にとっての重大事件があった時々、或いは時代が大きく変わった時に新しい神社が創建されていくことは以上の説明でお解かりいただけたかと思います。
 加えて神社の面白いところは、古い時代の神社はそのまま新しい神社と共にその地域に残るのです。

8、神社の興廃 
  神社に関わっている人には常識的なことなのですが、「寺はお坊さんが居なくなったら無くなってしまうが、神社は神主が居なくても無くならない」といわれています。
 例え神社の社殿が無くなっても、後には小さな石の祠などが残ります。
 もしそうした石の祠が無くなっても、自然石や樹木、果ては森・藪になっても、たいがい人がそこに住んでいる限り、その場所は大切に扱われます。

9、地域の歴史は神社に残る
  これが神社と歴史の関わりの面白い点であり、神道研史研究の醍醐味なのです。
 ですから、逆にある地域の歴史を知ろうとした場合、当該地域にある神社の創建年代を古い順に並べて行きますと、その地域にとってどのような事柄が重大であったのかが示されていることが解ります。 地域に住み、地域の神社の歴史に触れる機会が多いと、そんなことに気付きます。

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