第五回講座 -近代神道の概要-


項目
1、今日の神社本庁傘下神社 5、神社本庁の発足まで 9、現代の神社は国から完全独立
2、単立神社 6、別表神社     10、官国神社制度の特徴
3、全国の神社の数 7、官国幣社時代 11、近代の国家と神社
4、神社の職制(宮司、祢宜、権祢宜) 8、官社と民社 12、戦後の神道史の概括はこれから


1、今日の神社本庁傘下神社
 今日の日本で、宗教としての「神道」の宗教施設を「神社」といいます。そうした全国の神社が加入しているのが「神社本庁」です。
 神社本庁も全国の各神社も、それぞれが一宗教法人です。したがって神社は宗教法人法の適応を受け、文部省に監督されます。こうした今日の神道を、我々は「神社神道」といっています。

2、単立神社
 ただし、全国の神社が全て神社本庁に加入しているわけではなく、伊勢神宮・靖国神社・明治神宮・伏見稲荷大社・日光東照宮等は神社本庁に加入していない単立の神社です。
 そうした神社は、神社本庁傘下の神社と違いまして、いろいろな事柄で神社本庁の監督を受けず、各社全く独立した運営がなされています。
 しかし、そうした神社で働く神主さんたちは、神社本庁認定の神職資格を持つ人たちですから、関係は親密です。
 大きな神社ばかりではなく、小さな神社でも神社本庁に加入していない単立神社がいくつもあります。また神社神道ではありませんが、神道式で祭祀を行なういろいろな宗教法人もあります。

3、全国の神社の数
 現代の神道の趨勢という場合、日本に於ける神社数や神職数が一番目安になる数字と思われます。神社本庁発行の平成18年7月の『若木』によりますと、神社数は79,051社、神職総数21,594人です。


4、神社の職制(宮司、祢宜、権祢宜)
 今日の神社は、規模の大きい神社も小さい神社も職制を敷いています。一般的には、上位職から宮司(ぐうじ)・祢宜(ねぎ)・権祢宜(ごんねぎ)と称します。
 これらの職に就いている人の一般名称を「神職(しんしょく)」といいます。つまり神職=社員と同じ意味です。
 「宮司さん」とは、会社でいう「社長さん」ということです。したがいまして、祢宜や権祢宜を「宮司さん」と呼んでは決していけないのです。以下、祢宜=部長・課長、権祢宜=平社員というランクになります。
 尚、規模の大きな神社では、宮司と祢宜の間に「権宮司(ごんぐうじ)」という職を設けているところがあります。
 今日も使います「神主さん」いう呼称は、神職の一般名称ですから、宮司、祢宜、権祢宜を「神主さん」といっても、何の失礼もありません。

5、神社本庁の発足まで

 現在の神社本庁傘下の神社は、大東亜戦争の敗戦に伴いGHQ(連合国総司令部)によって実施された昭和2012の神道指令により、神社神道と政府とが分離されたところを起点として出発しています。
 翌昭和2123日に神社本庁が宗教令(昭和26年制定以前の宗教法人法の前身)下に宗教団体として出発しました。

6、別表神社
 その為に、今日では戦前の国家管理時代の神社制度とは違った、新たな神社制度を用いています。
 今日の神社本庁傘下の神社は、神社本庁の定める別表(べっぴょう)神社とそれ以外の非別表神社に大きく二分されます。

7、官国幣社時代
 明治から戦前(大東亜戦争)を、官国幣社時代と呼んでいます。この呼称は、当時神社の大祭などに国家から幣帛料(金銭)がお供えとして供えられ、その幣帛料が宮内省式部寮から支出される神社は官幣社、大蔵省から支出される神社は国幣社とされたのでした。
 この官幣社(91社)と国幣社(100社)、そして別格官幣社(27社)を総称して官社といい、これ以外の神社を民社といいます。
 官国幣社制度は、明治政府によって全く新たに作り出された制度ではありません。平安時代の神社の社格制度を手本として、そこに新たな要素も加えて明治政府が作った社格制度といえます。
 [図表T]に旧官国弊社時代から現代への変遷を神社数で整理しましたので、これを見て頂きたいと思います。旧官国幣社がそのまま別表神社に移り、民社の一部も別表神社になりましたが、民社の大部分は非別表神社になって現在に至っています。

8、官社と民社
  官国幣社制度下では、神社は官社(218社)と民社(110,077) に大きく二分されていました。
 官社は、中央・地方の古くから有名な神社や皇室と関係の深い神社が殆どですが、その数は神社全体からみれば、非常に僅かなものでした。近代日本国家が加えた神社への国家保護といっても、実質的な費用面からの保護は官社という神社全体のほんの一部だけで、民社にはそうした支援はありませんでした。
 民社とされた大多数の神社は、独自で神社の運営費用を得なければならず、氏子(うじこ)と呼ばれるその神社が鎮座する地域住民や、一般参拝者から得られる収入によって維持・運営されていたのでした。
 また、官国幣社の神職は国家の待遇官吏で、内務大臣・地方長官が任命し、俸給も支給されていました。准公務員ですから官国弊社の神職は鼻が高かったようです。しかし大部分の民社の神主には、そうした待遇は有りませんでした。

9、現代の神社は国から完全独立
 戦後の神社には、旧官国幣社といえども、国家からの財政的支給は一切無く、一宗教法人として、民間会社などと同じように収入の一切は自前で得なければならなくなってます。
近代神社制度の変遷を簡単な年表として[図表U]に纏めますと次のようになります。

10、官国神社制度の特徴
 明治政府は、鎌倉時代から約700年間続いた武家政権から政治権力を天皇に回復させた明治天皇を、神武天皇の再来として、当初は「神武創業」を基本理念としました。
 そのことから、天皇の日本国全体の神祇の祭主という立場が強く意識され、それにともなって、天皇及び皇室祭祀、また国内神祇祭祀の充実が図られ、国家祭祀化が進められることになりました。
 その手本になったのが、奈良時代の律令政府の政治体制でありました。その象徴的な面が神祇官を、諸官の最高官として再興したことに現われています。
 しかしやがて、西洋列強国の仲間入りするには、そうした1100年も前の統治体制では立ち行かないことを知り、神祇官は、神祇官→神祇省→神社局へと格下げされていったのでした。

11、近代の国家と神社
 近代の神祇制度の充実を踏まえると、国家による国内神祇への期待は大変大きなものであったこと思われます。
 それは、取りも直さず、近代日本国家が困難な西欧列強との競争の中で、如何に国を護って行かなければならなかったかということであります。
 国内の神祇の力の発動を期待しなければならないほどに、国家自身が非常な危機感に苛(さい)まれていたことの証左だといえます。
 幕末から明治の歴史を繙けば解るように、天皇が自ら国家権力の奪取を望んだのではなく、倒幕に参加した諸藩が日本本来(古来)の天皇を中心とした政体を望み、再度、天皇を国家政治体制の頂点に戴いたということなのです。
 当時は、日本本来ということは、日本古来ということ同義でありましたから、一面では日本全体の神祇の祭主という天皇の立場に合わせて、古代の神祇祭祀体制の再建が図られて、昭和二十年に至ったといえましょう。

12、戦後の神道史の概括はこれから
 戦後から現在まで神社神道を論ずるのは、まだ時期尚早かもしれません。戦後の神社神道がどのような特徴を持ち、どのような方向に進んでいるのか、渦中にある現代の我々には、冷静に分析できないのではないかと思います。
 この歴史は後世の人たちが分析してくれることと思います。

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