1、まえがき 私が、当神道講座で、これまで神道の葬儀や死について講義をしてこなかったことには理由があります。 正直に申しますと、これまでは神道の葬に関することを勉強したり、研究したり、考えたりしないようにして来たからです。それには些かの理由もあります。 葬儀のことを勉強したりしていると、身近に不幸があったり、気が滅入ってしまい、自分自身の精神状態が不安定になるからです。 毎日、死や、遺骸、墓、霊魂などのことを考えていると、本当に精神的に圧迫されているような変な状態になります。神道の研究者が、墓や葬儀書を読み続けて精神状態が不安定になったという話を聞いたこともあって、それ以来、自分にはそういう研究は向かないと考えました。相当、精神的にタフで、さっぱりした性格の人でなければ、葬式の勉強などするものではないと思います。ご用心下さい。 しかしながら神道が宗教である以上、それを解説するのに、人間の生ばかり説いて、死に関して全然解説しないということは、やはり片手落ちとは思っては居りました。このことは、「神道講座」というテーマに大変バランスを欠いていたことは言うまでもありません。 しかし最近、母が亡くなったことで死のことを説くことに躊躇していた理由もなくなりましたので、以下に神道の死について説くことにいたします。 2、神道葬の始まり 第三回講義「神道と日本文化」で若干触れましたが、神道に於いては、神葬に関する事柄は近世になるまで長らく関心がもたれませんでした。やっと中世室町時代の吉田神道にいたって、埋葬した遺骸の上に神社を建立するという形で、神式の自覚が始まったということができます。 それまでは吉田家の歴代の当主であっても仏式の葬儀がなされていたのでした。つまり神道を司る公の家でさえ仏式の葬儀が行なわれていたのでした。 、吉田家で仏式から神式への転換が始まるのは吉田神道を大成した室町時代末期の吉田兼倶(よしだかねとも)からだったのです。 3、天皇の仏式は聖武天皇から 日本に仏教が伝わって以来、日本人は死や死後の世界に関することは、みな仏教から教わってきたのでした。 天皇でさえ、天武天皇から葬儀に初めて僧侶が入り、火葬は持統天皇・文武天皇からされ、聖武天皇以降は仏式で天皇の葬儀が行われるようになったのでした。 天皇や貴族であってもそうだったのです。ただ出雲大社、諏訪神社、高良大社などの古い神社に続いた有力な古社家には、古くからの葬儀の仕方が伝えられていました。しかし、そういった葬儀の仕方も、広く世間に広まるということはなかったようです。 4、庶民の葬式は近世から 尤も、葬儀をあげることができる人々は社会の上級層という限られた階層と考えるのが適当でしょう。庶民の葬には、念仏聖などの仏教僧でも、下級の僧が埋葬に関わっていたようです。 九州は筑後国の高良山は、山内に三十ぐらいのお寺を抱えていたのですが、その中でも山内の僧侶などの葬を取り扱う寺は極楽寺という特定の寺であり、仏教に於いても葬にたいしては拘りがあったこと知って、驚いたことがあります。 5、仏教の葬式仏教化 仏教寺院が世間の葬儀を一手に引き受けるようになったのは、近世徳川幕藩体制の寺請制度で、過去帳が仏教寺院に具備されて、徳川幕府の命によって、寺が地域の一人一人の戸籍管理を行なうようにようになってからといわれております。 葬を取り扱うことによって、寺院は安定した収入源を得ることになったのですが、代わりに寺の僧侶は、仏教本来の活動である布教や教化といったことに後ろ向きになったとされています。近世以前の寺は葬儀以外での宗教活動が非常に活発だったのです。 従って、神道の死後の世界は、江戸時代の国学者によって闡明(せんめい)されるまでは、詳しく考えられることはなかったのです。せいぜい神話の黄泉の国が死後世界として知らされていたに過ぎなかったのでした。
インターネットのwebページなどの中には、神道に死後世界観が構築されていないことを以て、未熟な宗教として紹介するwebさえあり、いいかげんなものです。 近代になると、柳田民俗学が民俗行事などの分析から、日本では、古代から人の死後は、魂は里近くの山々に行き祖霊となり、そこで子孫を見守っている。そして祖霊は、春や盆になると、山を下りて里に帰って来、お盆や秋が終わると山へ帰っていくと説かれるようになりました。 この民俗学的解釈が、今日の神道での霊や祖霊、死後世界の基本的な考え方になっているといっていいかと思います。 死骸に対しては、埋め墓に埋葬し、普段は埋墓とは別の所に参り墓を造って、そこに詣っていたともされるようになり、これを両墓制といいます。つまり死骸に対しては重きを置かれなかったように説かれています。 これには神道が死骸に対して穢れの対象として捉えていた伝統と無縁ではありません。 神道では、死や死骸を穢れの最たる物として、非常に神から遠ざけてきた伝統があります。 7、神社にはお墓が無い理由 神の清浄を犯す最大の要素が死穢とされてきましたから、今日でも神社境内には墓は建てられず、喪がかっかった人々の参拝を控えるなどの禁忌が厳しくまもられています。 今日でも近親者に不幸があった場合、百日間は神社の鳥居を潜らないようにと言われております。 8、死は神の力を弱める 死体が穢れているから神社境内への参入が厳しく阻止されたといわれていますが、本当は神々の力を弱める尤も危険な要因が死ということであったから、死に関わる事柄を少しでも神社境内に持ち込まさないようにすることだったのです。 しかし死を忌むことを穢れという言葉に置き換えて表わされてしまったのが不幸なことでした。 9、神は生命力 神は生命力や力で充ち満ちた存在と考えられた為め、人々が最も恐れたのは神の生命力や力が落ちることだったのです。 ですからそうした力や生命力がなくなったことの象徴である死を、神に触れさせたくなかったのです。
穢れのことについては、当講座の第10回講座神道「神道祭祀に於ける斎戒」の「穢れの忌避」以下に詳しく解説していますから、参照して下さい。 神道に、死後世界を詳細に教える教義がないということは、神道が一見不甲斐ない宗教のように見えるかも知れません。 しかし本当にそうでしょうか。 なぜなら、今日の日本人では死後世界の存在を考え信じることが出来なくなりつつあるのではないかと思われるからです。
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10、変化する日本人の死後観 寧ろ現代では、物理的存在としての死後世界はありえないと、多くの日本人は考えているのではないでしょうか。 したがって今日では受け入れられないような死後世界の教説を構築しておかなかったのは、却ってよかったのではないかと思われるのです。 現代の日本人は、死後の世界の存在を疑問無く信じられるでしょうか? 11、仏教・キリスト教の来世観 仏教の教えのように、死んだら渡し賃を払って三途の川を渡り、天国の極楽浄土の仏の世界に行き、幸せな生活を送り、逆に地獄に堕ちれば閻魔大王の前で現世での罪状を白状して裁きを受け、嘘をつけば舌を抜かれて熱地獄、針地獄、血地獄をさまよわねばならない。 或いは、キリスト教のように神の前に進み、ひたすら最後の審判の時を待っている。といった世界を、普通の日本人は信じられないのではないかと、私には思われるのです。 私は、現代の日本人は、そうした死後の世界を殆ど信じていないと考えています。 12、緩やかな死後観 ただ、全く想定しないのでは、なにか心の安定が得られないことも事実ではないかと思うのです。したがって天国や極楽浄土ではないにしろ、極めて存在の薄い魂や霊が織り込まれている死後世界を想定しているのではないかと思えます。 神道では、死後の魂や霊は、現世での罪や穢れといったことがらからは浄化され、無縁になってしまった存在と考えています。この考え方は伝統的です。 13、神と人は両極 神道では、神であることと、人であることの定義が截然と区別されているのではないのです。 神と人は対局の存在なのですが、神が少しづつ変化していくと人になり、人が少しづつ変化していくと神になるといった意味で繋がっているのです。 例えば、黒色と白色が対局になっていて、黒を少しづつ薄めていくと白になり、逆に白を少しづつ黒くしていくと黒になる、つまりグラデュエイトと表現したらいいでしょうか。 14、神と人の同居 したがって極めて人間的な神がいる一方で、極めて神のような人もいるとされるわけなのです。 神話の中では、神様でも怒りにまかせて人を殺してしまう神がいたり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)ように泣き叫ぶ神がいたりで、神々が表わす感情はギリシャ神話の神々のように人間的です。ただしギリシャ神話のようなスーパーミラクルな神はいません・・・。 そうした神観念が神道的とされるわけです。したがって人も神とされる信仰が長い時間をかけながら成長してまいりました。 奈良時代以前では応神天皇や神功皇后、天武天皇といっ特別な功績をのこされた天皇だけが神とされただけでした。 人が神に祭られる資格が歴史を経るにしたがって緩和されていった様子は、第2回講座「神道の特徴」の中の「人神信仰」に要約していますからそちらを参照して下さい。 15、現代の神道葬 神道葬で葬儀をあげた人は、男女ともに(姓名)に命(みこと)を付けて称されます。 つまり、「倭太郎命(やまと、たろう、の、みこと」というようにです。しかし伝統的神とまったく同じ扱いかといえば、やはり神の方を尊んで区別しているといった方がいいかと思います。 人の場合、神ではなく、霊神(みたまのかみ、或いは、れいじん)と称して区別しています。 16、神葬祭 現代の神道では、伝統的な霊魂観に則って、神葬祭という、きちんとした葬儀の仕方が確立されていますし、神式の墓の形式・墓地もあります。年祭も一年、三年、五年、十年、三十年、五十年、百年とあります。但し、弔い上げということはなのですが、百年を過ぎると祖先霊と合祀してしまうようです。 先述したようなことから、神社神社境内に墓地を設けたり、遺骨を預かる納骨殿を設けることはできません。もし設ける場合は、そういった施設は神社が鎮座する境内地とは別の場所に建造することになっています。 神式の場合は、霊園などに墓地を求めます。 17、靖國神社に遺骨は無い 靖國神社には、戦死者の遺骨が祭ってあると思っておられる方がいると思います。しかし靖国神社境内には一切お骨などはないのです。霊を祭っているだけなのです。 霊神というのは神道という宗教の神霊観ですから、神道を信じていない人には、本来信じられないものです。 したがって厳密にいうと、神道を否定する人や無神論者やキリスト教者達にとっては、霊神などあるはずのないものなのです。むしろそのようなものは存在しないと言わなければならないのです。あると言えば、無神論者ではなくなりますし、キリスト教徒でもなくなります。 この辺が信仰のパラドックス(逆説)的な所です。 キリスト教徒ならば、人霊など存在しなとしなければなりません。人は死後は神の前にいって最後の審判を待っているのだから、神社などにいるはずがないと言わなければならないのです。つまり靖国問題は信仰問題などではなく、信仰という皮を被った政治思想問題なのです。 神道では、死者の霊が、極楽浄土や墓地や天国地獄、或いは教会の墓地に行くなどとは決して説きません。そんなことを言えば、神道の自己否定ということになります。 18、神々と祖先がいる死後世界へ 高天原(たかまのはら)とはいいませんが、人は死ねば神々も居られる世界へ帰っていくと考えていいかと思います。 なぜなら神話の教えるところによれば、我々日本民族の祖先は伊弉諾尊・伊弉冉尊から産まれた(作られたのではないのです!)のですし、神々も人も順々に幽世(かくりよ)に行かれたのですから、その子孫である我々も隠れられた神々や祖先がいる幽世(かくりよ)に行くと考えていいのではないでしょうか。 つまり宗教が違えば、それぞれ、それを天国といったり、極楽といったり、神の国と言っているに過ぎないのかも知れません。 19、葬祭の分化 近年の神道の研究では、神道の葬と祭は古墳時代ぐらいまでは分化していなくて、やがて葬祭が分れ、そして奈良時代ころから祭だけに神道はなったのではないかとも考えられています しかし私は、やはり葬と祭はあくまでも別々であったと考えています。 それが奈良時代の律令祭神社制度の中で葬が神社から排除され、神社は祭だけの場に特化したと考えています。 そして今日の神社神道では、葬が復旧されて徐々に葬も重視されてきているということが出来ましょう
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